中長期ビジョンについて.
先日の運営面での変更点について、皆さんからいくつかの質問を頂きましたので、2012年のスローガンに入る前に、今日は、我がチームの中長期ビジョンをここで示したいと思います。
まず、収支の件ですが、これは、今年に限り、パスワード付でWeb上に掲示することに決めました。ただし、これは今年に限ることします。皆さんの収支に対する疑問点をお聞きしている限り、「何か不正が行われているのではないか?」という疑問と、「自らが支払ったお金がどう使われているのか知りたい!」という部分に集約されるのではないかと思います。今日は、我がチームの中長期ビジョンを皆さんにお伝えしながら、この2つの疑問にお答えしていこうと思います。
掲示された際に、ご覧頂きたいのは、過去からの我がチームの歴史です。我がチームは、こうした値上げ局面を、過去にも経験しておりますが、皆さんの意を汲んで、値下げを行いました。この局面をご存知の方は、我がチームの運営メンバーしかいないかも知れませんが、その後、我がチームがどうなったか…。よく思い出して欲しいと思います。値下げを行い、市民リーグへの参加を取りやめ、仲間内だけで楽しむことのみを目的とした運営にシフトした結果、人数は不足し…、朝練はミニゲームのみ…、形にだけこだわって幹部会を開き、Webシステムへの要望を聞けば、自前で作った方がいいとなり…結局、自前で作成などできずにシステムインフラすら失うこととなりました。ようやく新たなHPを作成してもらったものの、当時、サッカーには参加せず、HPだけ作成してくれていた幸くんの善意に対し、とんでもなく失礼な対応をしたと思います。個人的には、重たい荷物を下ろしてプレーができていた時期なので、自由にサッカーをすることの心地よさを感じることができましたが…マネジメントもない…それぞれが自己満足と自己防衛のために、居心地の良さだけを追い求めるだけの環境は、次第に上手な人達だけの派閥を生み、試合中に罵声が飛び交うギスギスしたチームとなりました。結局…アリアケカップも連戦連敗が続きましたしね。長らく黙って見守っていましたが、そうなってからようやく、多くの人が、もっとパスを回した方がよい、もっとチーム力、勝負にこだわったチーム作りしてほしい…というニーズが芽生え始めたと記憶しています。
この局面を、私は運営上の失敗だと認識しています。組織を体系化し、なるべく運営側の人にも楽しみを感じてもらおうと作った役割が、逆に組織を後ろ向きに機能させ、自らをまるで「会社ごっこ」と批判…当時公表していた収支に対しても、BBSで誹謗中傷されるといった事態が起きました。そこで中傷された内容を私は今も忘れません。「このチームの代表は、収支公開なんかして、会社ごっこでもしているつもりか!」といった内容でしたね…。誰だか分りませんが、その書き込みに対し、「馬場さんは、そんな人じゃない!」と反論をしてくれた人もいました…。誰からか全く分からない誹謗中傷に、とても傷ついたのをよく覚えています。
そういった過去の経験を経て、段階的に準備を整えてきたのが、今の状況です。まずは、この構想が私が設立当時からずっと提唱してきた仕組みであることをご理解頂くとともに、ここで、しっかり宣言をしておいた方が良いと思うのは、「このチームでビジネスをするつもりは全くない!」ということです。
けれども、このチームを「全くのボランティア活動の一環として捉えるつもりもない!」と考えてします。それは、例えば…現在、被災地で謝礼もなくボランティア活動をしてくれている人達が…5年、10年、20年、または30年と続けられるとは到底考えられないからです。善意による奉仕の精神というのは、余程の私財をはたける人であれば別ですが、多くの場合、継続性を考えると非常に維持するのが困難な精神だと思います。高齢者の介護についても、自らの親の面倒を見ることですら、建前は分かるけれども、持続するにはストレスが相当かかる訳で、そこに介護業界というのが生まれてきています。この業界に非営利法人が多い理由は、そういった非営利の精神だが、法人としてお金を回さなければ続けていけないという成り立ちがあるからなのです。
では、草サッカーを通じて、私は一体何をしようとしているのか…。次に皆さんが疑問に感じるのは、その辺りかも知れませんね。
まず、根本的な部分をお話すると、洋光台という生まれ育った街に対する「地域貢献」「社会貢献」という部分になります。言葉を直訳してしまうと、まだ時期が伴っていないので、ボランティアというカテゴリーになるかも知れませんが、対象としているのは介護が必要なご老人ではありません…。
まず、私が第一の目的としているのは、まず「生涯スポーツとしてのサッカーを確立すること」です。これは、我々が年を重ねるたびに、打破してきた部分でもありますね。設立当初、15年前、私たち運営メンバーはまだ22歳でした。草サッカーチームといっても、場所がない…試合内容もまとまりがない…サッカー文化そのものが今とは異なり、野球は年をとっても続けられるが、サッカーは年をとったら続けられないスポーツと言われていました。
その状況で、必死にメンバーを集め、グラウンドを予約し、相手チームとマッチングして必死に運営をするのですが、それでも、私の出場時間は毎回半分でした…。岸くんと戒田くんは、いつも誰もやりたがらないセンターバックでした…。当時から、蓮沼くんは、ゴールキーパーで、経験者は岸くんだけです。こういう状況で、チームに来てもらった選手…最近めっきり聞かなくなった助っ人に参加してもらい、存分に楽しんで帰ってもらっていましたね。それでも、チームの屋台骨を保つために、文句一つ言わずチームを運営し、15年かけて、今ようやくそれが形になってきた訳です。
この背景には、大学あたりからスポーツをする環境が減り、社会人になるとめっきりそういう環境がなくなってしまうという社会構造があります…。誰も運動を辞めたくないのに、辞めざるを得ない状況に放り込まれ、いつの間にかその生活リズムに慣れてしまうと、全くスポーツとは縁がない…縁があるのはゴルフと麻雀、お酒の付き合い…だけという環境で人生を送ることとになるのです。
これで良いのか…。そんな疑問から必死に運営してきた我がチームは、新社会人から30半ばまでの世代の人にとって、サッカーを楽しめる環境を提供できるまで発展することができたと思っています。そして、単なる仲間内で楽しむだけという閉鎖的な運営ではなく、これが開かれた形で運営され、洋光台という地域をベースに行われる一つの社会貢献となるのであれば、そう捉えても良いのではないか…。こういう理由からも、我がチームには「洋光台」という冠がついている訳です。
ただし、それだけではありません…。今後、生涯スポーツとしてサッカーを確立するには、いよいよシニアという次の世界へ発展させなければならなくなってきています。いよいよ身体の衰えとの戦いです。年をとっても野球は続けられるけど、サッカーは続けられないという過去の定説にぶつかるときがやってきています。若い世代のサッカー界よりも、もっと閉鎖的な世界に飛び込むことになる訳です。開拓者となる運営メンバーには、またもやストレスのかかる時代が来るかも知れません…。もしくは天国なのかも知れませんが…いずれにしても、そうして開拓することが、その後、我がチームで同じ経験をしていく人達への道標となるのでしょう。ちなみに、認知症予防には、クルマの運転やサッカーなど、認知、判断、操作を繰り返す行動は有効なようですが、そういったことも視野に入れてサッカーとどう付き合うべきなのか…。洋光台にゆかりのかる運営メンバー達と死ぬまで考えて、形にしたものをこの街に残していきたいのです。
また、最近気になっていることが1つ。それは、学校教育における部活動に参加しない子供達が増えているという実態です。サッカーはユースチームで高いお金を払ってやるスポーツに変わりつつあるのかも知れません。昔は、サッカー部と言えば、ヤンキーが集まってしまい、真面目は子がサッカー部に入れないという弊害を感じていましたが、とうとうその真面目な子は、ユースへ流れるか、高校から始めるか、あきらめるか…。この状況は、ユースのように営利目的と割り切って運営しても生徒が集まる時代になったことに加え、学校教育の現場においては、部活の顧問の先生の「やる気」が維持できなくなっていることも原因だと思います。私立であれば、別かも知れませんが、公立の学校の部活の顧問の先生には、補助とか謝礼というものがほとんどありません…。たとえ、教師という職業が、公益性が高く、魅力的な職業であっても、このご時世…どんなにやっても自分に跳ね返らない…逆にリスクばかりを指摘される部活の顧問という業務をやりたがる教師が減るのも、良く分かります…。この仕組みでは、教える側のモチベーションを維持できないでしょう…。これは、蓮沼くんにしか分かってもらえないでしょうが…私が部長をやっていたテニス部は、部活の顧問の先生が顧問を辞めてしまったため、次の年に廃部になってしまったことがあります…。その経験があるからこそ…問題を感じるのかも知れません…。いずれにせよ、今、某少年団に修行中の彼が、ノウハウを持ち込んで、次に取り組むべき大きな課題であり…小学校の学校開放委員会の方からも、小学校の卒業生の素行悪化の問題から、この領域への展開を打診されていることも踏まえ、私が視野に入れていることを、ここでお伝えせねばならないと思います。
そして、もっと発展的な話をすれば、女子サッカーにも展開する可能性がないか…野球チームにも展開できないか…なども考えています。公的機関がフォローできない分野や、善意に頼った仕組みが行き詰まり、時代背景とその地域が望む環境がマッチするのであれば…私は可能な限り、取り組んでいくつもりです。今日、練習をずっと見ている女性がいましたが、その女性がもし「サッカーがやりたい!」というニーズであれば、もちろん叶えて上げられるよう努力するでしょう。
さて、ようやく…本題になりますが、ここまでの私のお話を受けて、いわゆる「謝礼」という概念を導入したい意図はご理解頂けたでしょうか。要するに、運営する側のモチベーションを考慮せず、善意の精神だけで運営しようとすると、長期的目線に立ったときに組織が衰退してしまう恐れがあるということです。ところが…もともと、善意の精神の高い人が代表をするケースというのが大半でしょうから…その人達は自ら「謝礼」をもらうということに対し、かなりの抵抗があると思います。私自身、そういう性格ですし、自分だけが楽しんでいる状況を極端に嫌う傾向があります。けれども、そこを脱皮せねば、チームの発展はない…。私と運命を共にする仲間達に恩恵もない…。そういうジレンマが生まれている訳ですね。
けれども、その「謝礼」というのは、一体いくらが妥当なのでしょうか…。私は、まだ、そこに対しては手探りの状況であると認識しています。いわゆる会費というのは、参加メンバーが公平に一律に負担すべきものであるのに対して、「謝礼」については、その労力に見合う金額となり、運営メンバーそれぞれに異なるものと認識しています。そして、それは、先般にも記載したモチベーション理論にもある通り、この役割をこなそうと努力することができる人を選択し、その人をその気にさせる要因として要求事項を定額で委託される仕組けを施す工夫をすることで、その結果、生涯このチームでサッカーに関われるかも知れないという成果への期待感が上がるよう、バランス良く設定されるべきだと考えています。しかしここからは、今後の展開よりけりとしかいいようがありません。ここまでお話した通り、この壮大な夢を描いて、それが本当に実現できるのかどうか…これ次第です。新たに運営メンバーに取り込んた人達は、この同じ船に乗れるのか、乗れないのか…。その判断をする1年にしたいと考えています。そして、そういった変動要素を考慮した場合、謝礼の設定はミニマムにせざるを得ない…。もっとも最低の状況を経験させて、そこから少しでも「謝礼」をもらえることに感謝するところから、開始すべきだと思っています。だからこそ…今後「謝礼」が上がる可能性がある訳で、毎年、今回のように説明をしていくことは困難と考えています。ただでさえ、「謝礼」というのは、もらう方からすると、とても「後ろめたさ」を感じるものであり、その「後ろめたさ」を払拭しなければ、私たちがこれから、取り組もうとしている世界において、モチベーションを維持することができなくなるのです…。ですから、モチベーションを維持できる程度の金額が見えたところが、MAX。チームで収益なんて出すつもりは毛頭ありませんし、NPO化するような展開は、今のところ、全くあり得ません。一回ばらした役割が機能不全に陥ったため、再び全てを集約することになったのですが…近年から段階的に、私が新年会に介入したり、自ら備品管理を始め、今や年謝袋まで導入し、改革することで、もう一度ばらす準備をしているのです。黄色いフィットの中で煮詰めてきたのは、山本五十六のいう「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ…」という言葉に習い、自らがその様々な業務を経験し、そのモチベーションを確認することが目的です。とても心外な話ですが…小遣いを稼いでいるなどといった要素はありません。そして、現在、私に集約している業務を、もう一度、これからの新しい運営メンバーに委託という形で、お金を遣えるという裁量ごとバラし、残った分を彼らの謝礼とすることで管理面での合理化も図ろうとしている訳です。今年1年かけて「言って聞かせる」人たちに伝え、まずはやらせてみようと考えているのです。まぁ…憎まれ口ばかりいう生意気な奴らですが、大きな器量を持ってもう一度信じてみようと思うのです…。これでも、伝わらなかったときは、残念ですが…。
今度は、逆の目線でもう一つ。会費についてです。まず、この会費の概念についてご説明します。以前からお話してきておりますが、我がチームは、仲間内が楽しむことだけを目的としたチームから脱却したいと考えています。広く募集を募り、この洋光台でサッカーを通じて、自分自身の成長につなげることが付加価値となります。マズローの欲求の通り、単純にサッカーがしたいという生理的欲求から、安定して毎週サッカーがしたいという安定的欲求に移り、そしてこのチームに属したいという帰属的欲求、そこから、自分のプレーを認めてほしいという自我の欲求、ここで何かを成し遂げたいと自己実現の欲求のステップへ進んでいくことが付加価値なのです。私はサッカーを指導する資格はありませんし、するつもりもありませんが、皆さんのさまざまなニーズに応え、自ら応えを出せるように導く人でありたいと思っています。そのためのサッカーチームであり、戦略、戦術の追及である訳です。少年団のように親子の関係で指導する訳でもなく、教師と生徒のように道徳やモラルを指導する立場でもありません。自ら応えを出せるように、コーディネートするだけですが…だからこそ非常にストレスがかかり、マネジメント力が必要となるお仕事なのかも知れません…。
また、広く募集を募り、会費を頂くということは、皆さんには「習い事」の感覚で募集してきてほしいな…と思っています。私の家の近所で某NPOが週に1度、大人も子供も交じってサッカーをやる組織を形成しているのを参考にすると、だんごサッカーで大人と子供が混じってミニゴールで蹴るだけで、毎月1,000円です。そして、クラブチームとして活動する地域の少年団では、毎月2,000円の会費です。フットサルの個人参加に行けば、1回1,000円でも毎週通えば毎月4,000円かかります。我がチームの設定金額の毎月3,000円というのは、決しておかしな金額ではなく、ましてや割引制度を導入し、6,000円を割り引いて、実質2,500円として上で、サッカーを通じて実現する自己啓発という付加価値、チームとしての準備される環境を考慮すれば、会費としての妥当性は、「相応にあり」と考えています。単純にそういう感性で「会費」を捉えれば、本人にとって成長できる要素がなくなれば、「卒業」の時期でしょうし、成長できる要素があれば、こんなに恵まれた環境の中で取り組めるのは、非常に羨ましいことだと思います。まぁ、先に述べたように運営側は、将来、シニアにまで展開し、開拓する意気込みでいる訳で、捉え方によっては、かなり幅広いニーズに応えることになりますから、「卒業」の判断すら難しいかも知れませんが…。
そういう状況を踏まえ、この「習い事」の感覚でいる以上、自らのお金の行く末はあまり考えないで良いのではないか…とも感じます。例えば、仲間内でお金を出し合って、それがどう使われたか確認しようという感覚は、よく分かります。以前から我がチームでも報告を行ってきた理由はそこにあります。けれども、もうこの方針による運営の行き詰まりが証明され、今後の長期ビジョンへ向けて、チームが次のステージに上がろうとしているときから、私はこの儀式はやめるべきと認識しています。発表をやめた年は、この方針の転換の時期と重なっているはずです。そして、それから何年もかかって今のこの状況まで辿りついている事実も、運営メンバーは特に振り返ってほしいと思います。
例えば、大人になってから、ギターのレッスンを習い始めたときに…その習い事に支払った金額が、どうなったか考えるでしょうか…。
単純に、チームから得られるものと、その対価として支払うもののバランスを見直して、メリットがあるか、ないか…それだけでよいのだと思いますよ。
逆に申し訳ないな…と感じるのは、運営メンバーを洋光台にゆかりのある私の同級生で占め、ようやく3名の感性の異なるメンバー追加されたところで、運営側へ入れる可能性が、ネット募集の方にはなくなってしまう恐れがあるということです。運営陣には、統制が利く程度にバラエティーに富んだメンバーで形成されることがよいと考えていますが、今のところ、3名のやんちゃなメンバーの収拾がつくまでは、判断を待つつもりです。
かなり長くなりましたが、私がお伝えしたい事項はこのようになります。そして、皆さんにはお願いがあります。私が掲げているこのビジョンは、おそらく草サッカー業界の中でも革新的なのかも知れません…。人間社会というのは、そういった創造する要素が生まれれば、それに反対する要素も生まれるものです。この内容を見た第3者、もしくは他のサッカーチームや学校関係者の方…、さらには、我がチームに関わった人などが、このビジョンをここで明らかにすることで「異」なるものを感じ、我がチームに影響が出てくるかも知れません…。そのリスクを承知で、皆さんのために、ここでビジョンを示したいと思いますが、運営上、あまりオープンにするべきでない時期であることをまずはご承知ください。今はチームとして「長年の夢」をかけた過渡期であり、この過渡期に事を荒立てると、移行に失敗し、以前の二の舞となる恐れがあります。また、代表の私は、皆さんに、口頭でお願いを請うようなことをしたり、その場しのぎ的な対応をとるというのを好みません。軌道に乗せて堂々とオープンに示すべきと考えるのが私です。
ということで、ここまでのご説明を受けて、皆さんが納得してくれれば、良し。納得できなければ、仕方なしと考えます。
いずれにせよ、西坂くん…分かってると思いますが、ここから先の対応を進めてください。よろしく頼みます。
